らごら



浄徳寺 住職
廣岡 憲雄

月報 「らごら」12月号より抜粋


 
  いよいよ今年も終わります。

 年の初めには毎年今年こそは、昨年の失敗に懲りて『がんばって何事も成功させよう。』と張り切り
 スタートは順調であるかのように動き出します。
 ところが元旦の半分も過ぎないころには、今年も駄目かな?と思うことが最近の新年では普通になってしまいました。
 あまりにも事件や事故が多く、時を経ず次の事件が起こり、何時までも頭にとどめておくことができないのです。

 思い出してみると、世界各地で戦争があり、テロがあり、日本人が誘拐され
 あれほど忠告されたにもかかわらず若者がイラクでついに殺害されてしまう事件がありました。
 いただいた「いのち」を本当に粗末に使った例ではないでしょうか。

 また非情な北朝鮮に拉致され帰ってきた曽我さんはじめ
 何人かの家族、DNA鑑定で本人ではないと判定された横田めぐみさん等が思い出されます。

 今の世の中、現地に赴かなくても色々な手段で正確な情報がえられる時代です。
 身体で経験し感じ取ることも必要でしょうが、たった一つしかない命です。もっと有効に大切にしたいものです。
 ひょっとして「私が若かったら」やっていたかもと思うと本当に恐ろしいことです。
 
 私たちが住んでいる、したい放題・極悪非道な犯罪・人間関係が
 最悪の自己中心的な衝動のままに行動する事ができる今の社会は
 『仏説阿弥陀経』に説かれている五濁悪世そのものです。
 この社会は、人間の恐ろしさと、そのような自分に気が付かない悲しい姿をさらけ出しています。

 「私には、そのようなことはない。」と断言はできません。
 それは私自身の心の奥底にも同じような「恐ろしい心」が潜んでいます。
 その事に早く気が付き、清浄心をもって鋭く深く自己を見つめ、自己を照らし出して
 初めて気が付く私の黒い影が先ほど述べた人間の恐ろしさであり
 私を照らす光そのものが「智慧の光明」すなわち「南無阿弥陀仏」そのものです。

 こんな事を考えながらこの一年を振り返り、新しい年をどう過ごしていくか
 どう過ごすべきかを残された日々を有効に使って考えて頂けたらと思います。

  義援金のご協力お願い

 阪神・淡路大震災の時に私たちは、全国の皆様より暖かいご支援をいただき、今の状態にまで復興することができました。
 その事を喜び、今私たちにできることはボランティアで現地に赴くことはほとんど不可能です。
 できることからはじめようのスローガンで募金のご協力をお願い致します。
 「ミャンマーの募金」が少しですがありますのでこれを少し使用したいと思います。
 「会」に少し不都合があり現在休止状態です。