らごら



浄徳寺 住職
廣岡 憲雄

月報 「らごら」10月号より抜粋



 
  秋を迎えて

 「本当に暑かった今年の夏でした。」と過去形で書いていますが本当にこれで終わるのでしょうか。
 天気予報が信じられないように私たちを取り巻くいろいろな事柄は信じられないものばかりです。
 私たちが目で見、耳で聞き、手で触るもの、鼻で臭いを嗅ぐもの、頭で考えるもの等は「アッ」という間に変化をしてしまいます。
 いつまでも変わることのない真実とは何でしょうか。それを求めるのが宗教なのです

 私たちはどうしても真実よりも身近な変化をするものを普遍のものと思い追求してしまいます。
 例えば、迷信や俗信は私たちの心にしっかりと根付いています。どうしてでしょうか。
 良いにつけ悪いにつけ私が何かしたときにその結果を見て
 「あの時にそんな事をしなければそうはならなかったのに。」とか「そうしたから良かったでしょう。」といわれます。
 信心があればどんな事も恐れる事はないと思われます。
 『しかし私には、本当の信心がないのです。どうすればよいでしょうか。』と問われたときに
 『「南無阿弥陀仏」を称えればよろしい。』とは答えられないと思います。
 「日頃からしっかりと聴聞しなさい。」と答えます。

 これから季候も良くなってきます。色々考えながら、無駄な事を考えずに無心でお念仏もうしましょう。

  いつまで続く恐ろしい殺人

 このところ連日ニュースになるのが殺人事件です。
 かなり前までは殺人事件はいつまでも記憶に残っていましたが
 最近は連日続いているので何も感じなくなってしまい普通の事のように思われています。

 「人を殺して何が悪いのか」という質問が出たという事がありました。
 いろいろな意見があり、共通していたのが「そんな質問が出る事自体が信じられない。」という事でした。

 ある人が「殺人は自然な事で当たり前なのだ。
 だから、なぜ殺人を犯すのかを考えるよりも、何が殺人を起こさせないかを考える事が大切である。」といっています。

 古代ローマでは人間同士や人間と野獣を戦わせ見物をして楽しんだそうです。
 日本では、戦国時代をのぞき無差別な殺人はなかったそうです。

 日本には仏教の影響があり、命の尊さ、そして尊い命を奪われる相手の悲しみを知っていたからでしょう。
 私たちは親鸞聖人の教えに従って『南無阿弥陀仏』のお念仏を称えさしていただいています。
 そのような環境の中で、誰もが味わう病気の苦しみ、貧困の苦しみ
 色々な事に悩む苦しみを通して、人間として親から尊い生を受けています。

 「毎日毎日を感謝しながら『ありがとう。』という気持ちで生活させていただいていますか。」と問われたときに
 『その通り、感謝して生活をしています。』という答えが出れば最近のような極悪な殺人事件は起こらないと思います。

  最近の世の中は物騒

 近頃学校に変な人が入ってきて先生に暴力を振るったり、子供に傷を付けたり
 また保育園に侵入したりする事件が相次いでいます。『梅の花保育園』では、門を閉め通路の扉は閉め切ったままにしています。
 保育園の門扉、山門横の長い門扉、ホール横の門扉等出入りされた時には
 「保育園の子供たちの安全のため」必ず閉めておいてください。ご協力お願いいたします。

 最近安全確保から、御門徒の川端貞治さんが毎日、朝、昼、夕方に、グリーンのベストを着て子供たちの安全を願い
 安全を確保するために何処からともなく現れて、子供たちに「パトロールの先生」と慕われています。

 今年は台風が沢山来ました。
 雨の少ない台風だったので風が運んできた塩分のおかげで
 境内にある楠、榎木、椋の木、銀杏などは南に面した部分が塩害を受け毎日盛んに茶色く枯れた葉を落としています。

 毎日の掃除が大変です。これから冬に向け掃除のお手伝いを募集しています。