らごら


浄徳寺 住職
廣岡 憲雄

月報 「らごら」8月号より抜粋
 
 やってきました。今年のお盆


 今年のお盆は第二次世界大戦が終結し六十年になる還暦の年のお盆です。
 あっという間に過ぎ去り今の若い世代の人たちには第二次世界大戦も
 原子爆弾による被爆も戦国時代の合戦と同じ感覚でしか理解されていないと
 話されていたことを思い出しました。
 そのことは、学校の授業で正しく歴史を教えていないからだと思います。

 何百年、何千年も前の昔の戦争と今生きている人たちが経験した
 この戦争と同列に扱うことがいかに愚かなことか考えましょう。
 経験された方々が元気な間に正しく次の世代に伝えることが
 私たちに与えられた義務と責任です。

 私自身は終戦当時は五歳でしたので終戦の記憶は殆どありません。
 戦争末期の記憶は防空壕と、爆撃により焼けこげた強烈な臭いと
 本堂の前に亡くなられた人たちが並べられていたこと
 お寺の境内の大きな木の根本で布団をかぶって避難させられた記憶がある程度です。

 戦後は、小学校に入学したので色々な記憶があります。
 今の子ども達のように新しいピカピカのランドセルでなく布の鞄や
 薄汚れた感じの木綿のかたーい学生服、つぎはぎだらけのズボンや、上着
 でもそれが全く気にもならず平気で着ていたこと、それしかなかったからかもしれません。

 食べ物については非常にひもじい思い出があります。
 常にお腹がすいていて、食事と言えば殆ど麦ご飯で
 一番の楽しみは白いご飯が食べられることでした。

 今あるのは先代住職(父)と前坊守(母)が
 保育園とお寺の仕事の合間にお米を作ったり、畑で野菜を作ったり、鶏を飼ったりして
 私達子どもと保育園の子ども達を育ててくれたことだと感謝しています。

 学校がまた楽しいところでした。
 学校へ行けば給食があり、今の子ども達のように登校拒否などとても考えられない。
 はじめの頃は子どもも多く「早行き」と「遅行き」の二部授業がありよく間違えました。
 勉強も、友達と遊ぶことも楽しいし、悪いこともいっぱいしたことが
 子どもの頃の楽しい記憶として残っています。

 物のない時代は子供の心にたくさんの夢と、工夫をすることを与えてくれたと思います。
 今のように「物余りの時代」でなく、「物のない時代」だったので辛抱と工夫が出来たのでしょう。
 
 このことをしっかりと子ども達に教えなかったこと
 子ども達に「物のないことの苦労をさせない」ことが
 親心としてはたらいたことが今の世情を作り出したのではないかと反省をしています。

 今年の終戦記念とお盆を迎えるにあたりしっかりと生きるべき道を教えましょう。

 
 今の忙しい時代にはお盆の行事は何となく心がゆったりとすると思いませんか。


 民間信仰として古くから十三日から十五日まで先祖が帰ってきて
 我が家に滞在をして十六日にあの世へ帰って行くというので
 お仏壇を掃除しお飾りをし、またお墓参りをし
 お花を供えてなきご先祖を想いお迎えをし
 ゆっくりして頂き十六日にお送りをします。

 では、亡くなったご先祖はいったい何処から帰って来て、何処へ帰って行くのでしょうか。

 ある説によると十三日に地獄の釜のふたが開いて十六日に閉まるので急いで帰ってしまいます。
 ゆっくりしてもらっても困るのです。
 私達もこの三日しか休みがないのだからね。また会えるのは来年です。
 
 私の命が来年まであるという保障はありません。
 だから今年のこの時期に心優しくご先祖をお迎えしているのです。

 ちゃんとお迎えをしておかないと来年私が迎えられる身になるとは限りません。
 だから子ども達、夫婦そろってお参りをするのでしょうネ。

 自分もこのように迎えて欲しいと願っているのです。
 この風景は何となくほのぼのとします。
 
 浄土真宗では、地獄には帰らないでお浄土に帰って行きます。
 私が帰っていくお浄土とはどんなところかを考える良い機会ではないでしょうか。

 これを機会に聴聞しましょう。