浄徳寺トップ らごら What is Buddism? Temple Story
浄徳寺 住職 廣岡 憲雄 月報 「らごら」10月号より抜粋 |
とうとう十月になってしまいました。 |
「一年の計は元旦にあり。」と言われ計画を立てて過ごしたまいりましたが 「寒い。」や「暑い。」とぼやいてばかりで、 何もしないうちに一年の四分の三が過ぎ去ってしまいました。 白骨のご文章に 「一生過ぎやすし、今にいたりてたれか百年の形体を保つべきや::」とあるように 「人生は長いようで大変短く、百年も元気な状態で過ごすことは出来ないのですよ。 年をとったから順番に、息が絶えていくのではありません。 いま元気な間に聴聞をし、阿弥陀様を想いお念仏をもうしなさいよ。」 としめされています。 いまわかくて元気だから、お念仏は関係ない もう少し年をとってからで十分間に合うと思っていると 「人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば::」とあります。 何時息が途絶えても良いように お念仏と共に人生を心強く歩んでいく準備を元気な間にしておきましょう。 病気になってから、あるいは大けがをしてからでは間に合いません。 お坊さんがお見舞いに来ても 「あの世から、お迎えに来た。」と思い沈み込んでしまうのが落ちでしょう。 |
報恩講法要 |
十月二十三日(日) 午後二時より 法話 竹内 英昭 師 楽しく気を張らずに、ゆったりした気分でご聴聞ください。 |
報恩講とは何でしょうか。 |
私たちは日頃、忙しさをせいに 感謝することを忘れ不満や、愚痴ばかりを言っています。 年の初め、本願寺でつとめられる親鸞聖人の祥月命日の法要の前に 各寺院でつとめられる法要を「報恩講」と言い 元気にお参り出来たことに喜びを感じ、聖人のご苦労をしのび ご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをいただくことを あらためて心に深く味わわせていただく法要です。 親鸞聖人のご往生後、ご命日に法縁にあずかっていましたが 第三代覚如上人が聖人のご遺徳を讃え しのぶために『報恩講式』をつくられ 1294年聖人の三十三回忌に報恩講として法要がつとめられました。 それ以後『報恩講』と言って現在までずっと続いている大切な法要です。 |
『仏壇』とは何でしょう。 |
あなたはどう考え、どう思いますか。 「誰もなくなっていないので、仏壇は要らない。」 「死んでから入るもの。」 「長男でないので要らない。」等よく言われますが、 あなたはどうでしょうか。 本当は、仏壇とは ご本尊である阿弥陀如来を安置するもの(家)なのです。 阿弥陀如来は信仰の対象なので、一家に仏壇があるべきなのが 本当の姿なのです。」 子ども達が結婚をしたら小さくてもお仏壇を持たせてあげましょう。 阿弥陀様に手を合わせることにより あらゆるものに手を合わせて感謝をすることを 自然と身につける良い場所になることと思います。 感謝をし、手を合わせることを忘れてしまった 今の私達の生活スタイルを本来の形に戻す良い機会になると思います。 死んでからでは遅いのです。 生きている間に阿弥陀様にお会いして 輝いた人生を過ごすために仏壇を持ちましょう。 浄土真宗の仏壇は、極楽浄土を表していると言われ 美しく金箔の貼られてお仏壇が本当の姿です。 金箔の仏壇は、日頃の手入れが大変だし お洗濯もありお金がかかるから唐木などのものが良い、とよく言われます。 しかし日頃の手入れに緊張することで 阿弥陀様の優しい心遣いを感じとっていただければ 自然に阿弥陀様とご先祖に感謝をし、自分自身の生活に励みが出来 仏壇を守っていくことの大変なことも苦にならず しっかりと生きていけること間違いなし。 |