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浄徳寺 【Jyotokuji】



 平成27年度
HNK連続テレビ小説

 「あさが来た」 

浄徳寺は主人公 広岡浅子の嫁ぎ先、「加島屋」とご縁があります





    

 
 
  浄徳寺は浄土真宗本願寺派で、山号を梅花山といい
  これは伝説の古木、難波の梅より取ったものと思われます。

  廣岡家代々の菩提寺であり
  元播州播磨の国、赤松氏が領地の廣岡庄の名にちなんで廣岡と号し
  嘉吉の変の後、一族の又一郎が武士を捨て
  赤松家所領の地である難波(現在本堂のある地)に草庵を結び
  了寿浄経(1462年寂)と号しました。

  赤松円心(赤松則村)が京都の建仁寺に帰依したため
  一族はほぼ禅宗であり、初代も禅宗であると考えられます。
  (一説には真言を奉じたとも言われている)
 
  二代目の
照楽宗寿(1501寂)、
  三代目の
了慧智光(1519寂)の後
  寿皇(浄徳寺第一世1527寂)が禅宗を捨て
  浄土真宗(興正寺派)に改宗をしました。
  本願寺第九世実如上人(1520年代)の頃である。
 
  明治九年に興正寺派より、浄土新宗派に転派し
  現在に至っています。




  阪神大震災(1995年1月17日午前5時47分)で
  全壊の被害を受けた旧本堂は
  第五代住職
寿全(1719年寂)の1687年(貞亭四年)に
  加島屋廣岡氏に難波村の宗家より入った
廣岡久右衛門
  浄財を寄進し、建立をし、三〇八年にわたって
  この難波の歴史を見守り、心の故郷となってくれています。





寺  号

:浄 徳 寺 (じょうとくじ)


宗  派

浄土真宗本願寺派【西本願寺派】


所 在 地

兵庫県尼崎市東難波町3丁目12番14号



本  堂

浄徳寺本堂(阪神大震災で全壊)は
正徳年間【1711〜1715頃】の再築と
いわれていますが
その建築様式、浄土真宗が常例とする紫辰殿造り
(入母屋)でなく二重屋根の寄棟造りです。

本堂内はまた後に真宗風の内陣を附け建てたかの
痕跡を見ることができます。

この頃は
まだ確たる真宗寺院ではなかったと思われます。

堂後の墓地の一隅ににある二、三の古き墳墓にも
その様式より真宗以前のものらしきものが
みることができます。
  
阪神大震災により全壊した本堂の再建工事が進められ、
2002年11月に新本堂が再建しました。




寄付について



本堂の再建懇志,仏具懇志にご協力頂きました皆様ありがとうございました。
まだ受け付けておりますのでご協力お願いいたします.




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